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白木屋伝兵衛六代目・中村梅吉のBlog 「うめくさ」

今は隠居中の6代目中村梅吉。彼は白木屋中村伝兵衛商店の先代だけでなく、江戸の歴史・文化研究者の一面も持っています。その彼が記す江戸のこと、京橋のこと、歴史のこと。どうぞ気を楽にして、お付き合い下さいませ。
ハワイ航空。
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    ハワイアン航空が注目を集めている。

     

    ハワイアンについては痛い思出がある。30年前ハワイアンは日本に乗り入れていなかった。

     

    模型を塗るのに写真を集めたが、全部左側だった。

     

    塗装は右側もしなければならない。垂直尾翼の「おねえちゃん」が垂直尾翼の右側で右を向いているか、左を向いているのか。写真がないから解からない。日本の常識でいえば右側でも機首つまり「おねえちゃんの右顔」だが、塗って仕舞ってから間違った写真が出て来たら大事だ。

     

    当時、トラックの右側に会社名を書くのに右から(走る方向から)書いたというお国柄だ。まして、当時、女性はハイビスカスを頭の右左着ける場所でミスかミセスかが分かれた時代、大問題である。

     

    ところがタイヤを10本パンクさせた今回の事件で右側の姿もしばしば出てきた。

     

    当時困った私はこれを知りたい為だけに日比谷にあった日本支社へ行って見たが、さんざん待たされた挙句、「解からない」といわれ、えいままよと日本式で塗って仕舞ったが、今回これが「間違っていない」ことが証明され、今日も「おねえちゃん」はミス、ミセスで飛んでいることであろう。

     

    | - | 12:34 | - | trackbacks(0) | - | - |
    花守安治。
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      朝ドラ「はな姉ちゃん」の花山として出てくる人だ。

       

      私が「暮らしの手帳」に目を止めたのは、10号以降なのだが、花守さんという人の当時の印象は外見パンクだが巻頭の言葉「今役にたたなくて・・」(これは今でも巻頭に毎号刷られている)ある才能はあるが、あまり付き合いたくないような性格という感じ。

       

      尤も、昔文学者、芸術家、役者、落語家、などすぐお金にならない人種は付き合い、親戚に不向きというのが常識だった。

       

      彼の才能かどうか私は暮らしの手帳を読んで、「広告」のない(殺音のない)紙面に驚いたし、眩しくもあった。家電などの市販品の実験も新発見だった。

       

      暮らしに手帳は100号を迎え、これを忘れろと101号から「ガラリ」と変わったことを新鮮に覚えている。

       

      「花守安治」インターネットなどで調べても出て来なかった。

       

      ある日「ひょっと」思い出した名前、私にそれだけ印象的な「名前」であった。

       

      大橋鎮子さんを知るのは可也後である。  

      | - | 12:31 | - | trackbacks(0) | - | - |
      戦争と学校
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        昭和17年(1942)都立第3中学(現両国高)入学、1945年8月の敗戦まで3年半殆ど学徒動員だった。

         

        動員箇所、苦労は色々あったが、1番酷かったのは3月⒑日(東京大空襲だ。

         

        その日我が家は危うく難をまぬがれたが、噂は本所、深川がひどい。

         

        交通機関はダメなので、親父の自転車を引っ張り出し、昭和通りを右折、弾正橋を渡ると焼け野原、まっすぐ永代橋へ、門前仲町を左折して焼け野原を緑町1町目を右へ、これをまっすぐ行けばわが校,やがて3丁目に、黒いマネキン、何でこんなところに、これが死体であるのが解った。

         

        学校の手前江東橋の上は黒焦げ死体だらけ、拝むやら、悼むやらしながら学校へ、コンクリートで何となく安全と思われたが、全焼し、死体で満員。16歳、どこをどう歩いたか校庭で生きている人間に遭う。学校やら、警備していた同僚やらを心配してかけつけた同輩たちだった。

         

        戦争を見た。それでも軍国少年は変わらなかった。

         

        が、後年の思想の変わり方を考えるとその日はまたとない経験だった。

         

        後年建て替えられて何もない。

        | - | 12:29 | - | trackbacks(0) | - | - |
        戦跡を訪ねて。
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          都内で戦跡と言えば、高射砲のあった場所であろう。

           

          中央区では浜町公園、当時一般人立ち入り禁止だったから数は知れないが4.5門であろう。

           

          が、隅田川岸に有名人の設計した記念塔が立っていた。砲の旋回に邪魔になることで、壊されてしまったそうだ。今あれば、記念すべき設備っだが、たった数年の為になくなった。

           

          月島にも高射砲部隊が来た。4号地(現、晴海)突端に砲座があったと友人から証言を得ている。

           

          ここは3月⒑日、B29の高度が低かった為、数機を落としたと記録にある。

           

          当時広いところ、公園はいうに及ばず、のちGHQになる第1生命ビルの屋上にも砲があった。コンクリートの上に材木で台座をつくり砲をのせた。ここの砲は打つと物凄く大きい音がして、直線距離5百mの京橋のウチでも響いた。

           

          いずれも口径は7.5クラスで1万mを飛んでくるB29には届かなかった。

           

          どこの台座もない。

          | - | 12:26 | - | trackbacks(0) | - | - |
          都知事。
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            大臣が崖から飛び降りて都知事を目指した。

             

            東京都連は「聞いてない」といって「いやいや」をしている。これからは「私の想像だ」大臣は声を上げれば都連はしっぽを振って来ると思った。都連は独自の候補を出したい。

             

            実際問題としては大臣は(腰を低くして)電話1本都連の主に掛ければよかったのだ。都連は「根回し」を希望しているのではないか。それと、その大臣が「女」なので、「蔑視」していないか。

             

            そのほか、役人の候補者が出て来ているので、7/2現在、どうなるかわからないが、結論から言えば、「ボタンの替け違え」である。両方とも冷静に出来ないのか。不可解、これが政治だと言ってしまえば、おわりなのだが。

             

            最近本が出た。タイトルに曰く。「それでも、日本は『戦争』を選んだ」

             

            なかなかむつかしい話です。

            | - | 12:24 | - | trackbacks(0) | - | - |