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白木屋伝兵衛六代目・中村梅吉のBlog 「うめくさ」

今は隠居中の6代目中村梅吉。彼は白木屋中村伝兵衛商店の先代だけでなく、江戸の歴史・文化研究者の一面も持っています。その彼が記す江戸のこと、京橋のこと、歴史のこと。どうぞ気を楽にして、お付き合い下さいませ。
重ね日。
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    日本の古いしきたりが重視され始めていると言う。

     

    もかも有りすぎて、の結果かとも思うが、故無しとはしない。

     

    1月1日、2月2日、(12月迄)有名なのが3月3日(桃の節句)節句なる語句は季節の変わり目、あるいはその前日の意とか。5月5日(端午の節句)元は中国、それも道教。古くからのは、初午、春(秋)分、新嘗、後は旧祭日、それは其々意味がある。中国は勿論だが道教の教えが以外と多く、「七夕(たなばた)」「竹取物語」「竜宮」もそうだ。それと注意したいのは実施する時期が新暦は旧暦か(約1ヶ月差がある)精査の要あり。

     

    昔あって、今亡くなった行事とは、いくら書いても書き切れないほど。気を着けなければいけないのが、「復活」ではなく「新規」に始めるモノ。

     

    「光」と「IT」に関するモノは新しい。

     

    新しいものを何で「警戒」するのか?日本橋や人形町にあるように(その他繁華街にも)昨日開店して百年前から営業しているような顔をしている店。外から見て解からない。新しいのが「悪いわけ」ではなく、その店はそういう店だと解かればよいのだ。素人は間違いないように。

    | - | 13:45 | - | trackbacks(0) | - | - |
    箒が気になる。
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      月に一度位MSの都合でPCを切らないでください。更新しています。の表示が出て5分位使えない。

      こっちは頼んでいない。その度、PCが重くなる。そんな事はどうでもよい。

       

      NHKの朝ドラ「べっぴんさん」を見ている。今神戸が戦災にあっての戦後の混乱期だ。

       

      生活をする場面で当人たちの後ろに手箒が掛かっている。その箒が「輸入品」独特の「カバ-箒」だ。先人が40年程前、インドネシアへ種を持って行った時、魚のあら迄運賃を掛けることあ無いと考え、製品にするのを意図した。処が「胴」を組む手間と技術を略すのを考えて、糊ずけにした。

       

      布でカバ-するのは、それを隠す為だ。

       

      かくて現地人が作れる「箒」が出来た。手間と技術を不要にする「素晴らしい」発明である。

       

      そのかわり、その布は「インドネシアで素人が作った」証拠を残した。合理化と値段である。ところが、「箒の価値」を決める「作る以前の段階」である「材料のより分け」も略した。1枚の布が「これは国内産ではなく、昭和末期以後の品」を申し立てている。

       

      以前「剣客商売」でこれが「気になり」手紙を出したら,返事はなかったが、その後使われなくなったことがある。「べっぴんさん」は大阪で製作(?)、ましてや関西の話だから、戦後すぐは「棕櫚箒」でなければ「時代考証的」に違う。

       

      「時代考証」と言う宝刀を振りかざさなくても家庭用品は「どうでも良い範囲にはいる。(見ていて解かる人は少数)私もこんなこと久しぶりに書いた。

       

      一般にはどうでもを書くと、戦前も戦後も「箒」を大量に使うお役さんは軍隊だ。その理由は戦前の学校教室をどう掃除していたかを調べれば解かる。

       

      今でも自衛隊の年2度の入札があるらしい。

      | - | 13:44 | - | trackbacks(0) | - | - |
      認知症の始まり。
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        時は秋である。春の七草(これを「しちぐさ」と読むと落語になる)は一般的だ。処が、秋の七草となると知識広大な小生でも危ない。これが解決された。NHK朝の「子供向け番組」でそれを知らされた。

         

        萩の花 尾花 葛花 撫子の花 女郎花また藤袴 朝貌(あさがお)の花

         

        由来は「山上憶良」だという。「なでしこ」今はこの字しかないのであろうが、画面には貝を2っ書いて下に「進む」の「しんにゅう」を外した「作り」だけ。と2字目は麦で「なでしこ」と読むらしい。IMEで3度試みたが出て来ない。

         

        要はこの字句を3日前に画面を写していて、ノートに書いたら、3日前のが書いてある。写したことすら忘れていた。今度のPCには、何をどうやれと書いてない。先日もドキュメントの出し方を忘れ、慌てたことがある。「ボケの始まり」

         

        人間歳を取るとこうなるからと言って、恐れて何もやらないと、ますますボケる。

         

        恐れず、進もう。(ああ、いやだ。)

         

        | - | 13:41 | - | trackbacks(0) | - | - |
        ほうきぐさ。
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          またまたtvだが、(子供向け番組、早朝だが)「待ちぼうけ」(野口雨情作詞、中山新平作曲、あの頃の童謡は殆どこの2人)なんだが、画面には江戸箒(ウチの登録商標)の材料が出て来る。

           

          これが違うんだなあ。

           

          時々出て来る画面は「畑で栽培している『箒草』(江戸箒の材料)」が出て来る。

          「今は荒れ野の箒草」野口雨情の歌詞に出て来る「ほうきぐさ」は「あれの」に栽培でない「ほうきぐさ」でなければならない。

           

          昔、荒れ野には箒草が生えていた。これには「み」がなる。食べても旨くない。食料にならない。しかし、モノ豊富の現今、酒のつまみに良いといって塩着けを出すらしい。袋詰めも売っている。「とんぶり」である。

           

          これは雑草(先代天皇陛下によると雑草なる呼び名は無いそう)だが、売れるので現今では畑で栽培しているそうだ。(キャチコピーは畑のキャビア)第2字大戦以前の農家では自分の庭で使う為、屋敷内に2,3本植えていた。

           

          これの枝葉だけ束ねたモノが「ほうき」でもあった。これはアカザ科の草で、江戸箒の材料は稲科で異種である。

          イネ科は畑で育成し、荒れ野に勝手に生えない。アカザ科は荒れ野に勝手に生えることがある。どっちでも呼び名は「ほうきぐさ」なのがややこしい。

           

          調べたところ、牧野富太郎さんの植物辞典でも間違っていた。あれから50年、今の版は知らない。

          アカザ科を再現したくて産地に山形へ電話したが、「トンブリ」収穫後のほうきぐさは畑で燃やしているそうだ。

           

          少量送ってもらえないので、町内にある「秋田銀行東京支店」の御手を煩らわしてコレクションに加えた。

           

          「今は荒れ野のほうきぐさ」はアカザ科である。

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          大根河岸。
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            大根河岸;今では「だいこんがし」と呼ぶが大根河岸全盛時代、こう呼ぶ人は外来の人(現地を知らない人)、地元民は「でーこがし」(江戸方言)と呼んだと古人から聞いたことがある。

             

            明暦の大火(1657)以降京橋川の水運を活かして表通りから城辺橋あたり、最盛期には今の銀座の河岸ッ渕迄、川の両側、露天で青物の卸売りをやっていたらしい。西仲通りの銀座へ掛かる橋(紺屋橋?)上にも商品を広げて商売をしている写真を見た記憶がある。

             

            槇町の町会長をやった卵屋さん(台東区に移転)とか市場関連のご商売屋、飲食店が今の築地場外みたいにあった。城辺橋辺にあった広重江戸百景「山鯨」(猪)店(之だけ2代目とか)も有名。写真を見ると、ハエが多くて不衛生だとかで昭和7年築地へ移転、これ以降は中央区史にある。

             

            今京橋北詰にある大根河岸の碑はご存知の通りだが、中村座の碑は本来通り3丁目にあるべきモノが当日通り3丁目が工事中なのでここへ持って来て(当日はここで役者などが来て盛大に開幕)という信じられないような話を聞いたことがある。

             

            話のついでに中村座の碑のそばに高さ50程の小さい塔が2つばかりあるがこれこそ埋め立てた京橋川に道路沿いにあった(川への)転落防止用の杭(しかも杭と杭をつなぐ鉄ハイプだけ戦時中金属回収徴用で持って行かれた跡だけ残る)で、貴重品。

             

            しかもこのデザインは昭和37年川が埋め立てられた際撤去された京橋の親柱、(南側の交番も同じデザイン)同所にある「大島桜」は埋め立ての際の若木が育った大木。

             

            昭和4年、竹河岸に生まれ、育った私だがこれしか記憶がない。

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