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白木屋伝兵衛六代目・中村梅吉のBlog 「うめくさ」

今は隠居中の6代目中村梅吉。彼は白木屋中村伝兵衛商店の先代だけでなく、江戸の歴史・文化研究者の一面も持っています。その彼が記す江戸のこと、京橋のこと、歴史のこと。どうぞ気を楽にして、お付き合い下さいませ。
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ウチの起源。
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    以前4代目を書いた時触れたと思うが、江戸東京博物館で10年展示ボランティアした時その積み重なりからあそこの長屋の元は新川の酒屋問屋「加島屋清兵衛」の家作だと知った。

     

    その所在は京橋柳町とある。柳町とはウチ(炭町)の背中。身内である。

     

    ウチの初代は「水売り」とある。「水売り」は「一荷」いくらで個人宅の水甕へ水を補給する零細営業、それがどうして「荒物屋」開業が出来たか。

     

    「水屋の富」なる古典落語がある。

     

    零細な水売りが千両賭に当たり、隠し所がないので、床下へ置き、毎晩盗賊に襲われる夢を見続け、毎朝出かけるとき長い竿で所在を確認して出掛けた。これを近所の悪が知って盗んだ。盗まれたのを知った「水売り」は「嗚呼、これで毎晩寝られる」これがオチ。

     

    一方、ウチのすぐ前に「炭谷橋」があった。(S27埋め立て)また隣町具足町との境にある。水売りは毎日来るから、町内の有力者とも顔なじみになる。その営業年数が長ければ信用もつく。水売りが相応の歳になり橋番屋(番屋は町内会費で運営し幕府行政の末端を担う)の番太が株を売っても良ければそんなに高価なものではなかろう。

     

    昔の番太の給料を補填する為家庭荒物(草鞋、ざる、の類)を売るのを黙認されていた。

     

    維新になり、番屋は廃されて交番になる。

     

    ウチの祖先が番屋のそばへ三井から地借り、店借りして「荒物屋」を始めても可笑しくはない。

     

    これは全部私の想像。しかし「歴史のある部分は想定しそれを文書などで実証すれば、歴史になる」という。

     

    これが私の「江戸東京博物館の10年」である。

     

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