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白木屋伝兵衛六代目・中村梅吉のBlog 「うめくさ」

今は隠居中の6代目中村梅吉。彼は白木屋中村伝兵衛商店の先代だけでなく、江戸の歴史・文化研究者の一面も持っています。その彼が記す江戸のこと、京橋のこと、歴史のこと。どうぞ気を楽にして、お付き合い下さいませ。
通訳?の看板。
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    大島第六団地の広報部の会合で、たまたま英語でサブタイトルを付ける段になり、(団地に可也日本人以外が増えたので、インド人のご協力で)広報部の5,6人殆どが、英語の能力が私以上であるのが分かった。私は筋肉労働が老齢の為苦手で、団地活動に制限があるが、何か、お役に立ちたいとの思いがある。

     

    私は京橋で生まれ育った為、敗戦後間もなく英語に巻き込まれた。そのまま英語を育てられない環境で、レベルは知れたものだが、江戸博でもそうだったが、外国人との面談に慣らされている。増してやその後、(行くところが無くて)東外大(当時は専門校)蒙古科で蒙古語、北京語、ロシア語に馴染んだ。

     

    望むところではないが、東京に大地震が来て(生きていれば)外国のかた、難聴者のかた(日本手話も出来る)の役に立ちたいとダンボールに紐を付けて、胸看板を作った。

     

    「English a little 、北京話1点児 、手話」(ロシア語とモンゴル語 略)

     

    中央区のボラ、スキルアップ英語講座で講師(米人)とやりとりしたのは60人中私だけだった。私以上能力のあり人は「爪」を

    隠して話さない。あの格言が日本人の謙譲の美徳と共に疎外している。

     

    過去形、3単現のS,そんなの関係ない、どんどんしゃべろ。日本人!

    | - | 10:38 | - | trackbacks(0) | - | - |
    強制。
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       戦時への反逆か「強制」されるのが嫌いである。

       

      それと、このところあまり読む本が見付からない。政治は1党独裁だし、PCに限っても、頼んだ覚えのない「ソフト」を解約せざるを得なかったり(入れるのは簡単、断るのは大変)マウスを買おうと思えば、「無線」ばっかり(自分が時代遅れ)だし、こんな時は「川柳の本」を読むに限る。

       

      「8月や むいか ここのか じゅううごにち」(6日は広島、9日は長崎、15日は)と比較的有名で読み解くのに優しいのもあるが、毎度登場する「人参で首を継げとの御使い」は人参は朝鮮、江戸時代、御使いは幕府の、お偉い方は殺されても発表されるまで生きているを知らなければ、その意味が分からない。しかも、情報管理された江戸時代のほうが、戦時よりも皆知っていることが「凄い」。川柳はこのように「ひとひねり」が良い。ふたひねり、みひねりは勉強が必要。

      勿論、解説書で、川柳には吉原が当然多いが解説を読むと(大体文化文政期)我々に結構「誤解」が多い。また、川柳は我々に教えてくれる。江戸時代の吉原の最大の誤解は「強制がない」こと。(これ、難しいのだが、レベルで違う)金の力的「強制」をどうするか問題はあり、例外もある。第一連れて来られた婦人達の多くは「金の力」の被害者だが、それは今でも同じだろう。それはそれとする。

       

      「強制の暴力」に吉原は抵抗する組織を持っている。先ず、武士は刀を預けなければ「入れない」大体、判らずやの武士は「もて」ない。「刀なもてない あさぎうら」

       

      何故「強制はないか」そんなことすると「もてない」からだ。仙台の殿様と高尾(7,8人いる)の話は有名。

      ふりかたも「寝ふり」「空床」を始め、吉原の習慣、新造(妹女郎、見習い女郎)「もらい」「あずけ」「羅生門河岸」「行水」etc学術書は教えない。「何かささやくと果たして貰いに来」「貰われて太鼓の地口落ち着かず」この前句(川柳には前句がある)「落ちが来ず」だが「拾遺」では前句では「騙しこそすれ々」でも採用されている。 

      | - | 10:37 | - | trackbacks(0) | - | - |
      ちょっとずつ。
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        88歳、普通の作業活動は出来ない。

         

        百年に1度の大災害の時、胸に着けるボードをやっと作った。

         

        「手話、勉強中、English,alittle,北京話1点児、Τa caин δaинo」

         

        それを日本語にすると、「手話、英語、中国語」ちょっとずつ、最後はキリル文字を借りたモンゴル語で「こんにちわ」

         

        これでも江戸東京博物館のボランティア受付では10年役に立った。

         

        全部、完全ではない。

         

        「ちょっと」ずつではあるが、災害時、私に出来るのはこんなこと、それでもないよりは良いだろう。

         

        私は私の出来ることが役に立つ日が来ないように祈っている。

        | - | 12:43 | - | trackbacks(0) | - | - |
        軍事と技術。
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          科学技術を軍事に利用することをとやかく言う人がまだいるらしい。

          ノーベル賞は何から出来ているのか?あれ、「ダイナマイト」じゃあない。ダイナマイトがあまり人を殺すんで何とか世の役に立ちたいとするのがノーベル賞、否定する?科学技術を1番利用するのが戦争である。

           

          いやなことだが、戦争で世の中役に立つものが増えた。

           

          皆さんが平気で使っているGPS Grande Positionninng SystemこれIBM(大陸間弾道弾)の場所選びなのよ。あれがあるから「在日米軍にむかって」打ち込める訳。

           

          10数年前「軍事極秘」のGPSを一般公開するとアメリカが公表した時私は腰を抜かした。

           

          今皆さんはあれがないと皆迷子になる。これをどうやって説明するんだい?

           

          今インターネットを利用しないと「戦争」が出来ないという。

           

          いっそ「戦争防止」の為インターネットを止めて、それとTVや電気を止めて、ローソクと駕篭の生活に戻るか。

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          川崎先生と白魚屋敷。
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            終活の1端で資料の整理を始めている。

             

            先年天寿を全うされた先生の「郷土資料館だより」(s5811月前後)が出て来た。

             

            その10号で川崎先生が「白魚役と佃島の白魚献上」を書いている。ウチの京橋川向こうに「白魚河岸」が有り(地名だけ)そのいきさつに興味があった。

             

            その「白魚河岸」は今の町名で銀座1−16の北側だ。その昔はもっと西側にのびていたのかも。「白魚献上」は佃の仕事以外に他の人もやっていたらしいとはかねて聞いていたことではあるが、先生の説では他の連中が初期にやっていたらしい。銀座北端の白魚河岸も実は「他の連中」の為らしいことが解かり興味を引く。

             

            要旨を書くと…僂箸亙未稜魑役がいて、初期はその方が勢力が強かった△修豸寮草観音から芝浦まで佃島も立て網漁が出来なかったその時の佃の白魚は江戸川(利根川、中川)のもの

             

            「白魚河岸」は江戸初期らしく(所在は沿革図集で資料館で確認してくれた)この先生の論文で「よそ者」の存在も「白魚屋敷」の存在も納得がいった。

             

            佃と浦安の関係も。やはり昔の資料は大事である。

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