1枚の鉄板

  • 2019.05.28 Tuesday
  • 20:00

1945年3月10日(戦争時東京大空襲)朝16歳の私は本所深川が酷いという親父の風評と今朝から学校警備の番だんの思いに駆られ、電車は不通だからと、親父の自転車を借り、本所江東橋の学校へ急いだ。ウチを出てすぐ八丁堀から永代橋まで、焼けていた。こんな大火ははじめて、永代を渡るともっと焼けている。千葉街道を右に曲がる。初めて焼死体を見た。先を急ぐ。ドンドン死体は増えていく。学校はコンクリートだから煙の中、すっくと立っている。

 

全焼の学校で結果論からだが、前の晩、番だった10名は全員助かった(地の利だろう)焼け残った部屋が1階に一つだけあった。その前の扉の外に親子の焼死体もあった。色々な理由と幸運があったのだろうが、その部屋マイインの避難民は助かった。たった、1枚の扉である。

 

6号団地、外と開け放たれている。普通建物は外からは入れない。防犯上は論外として、非常時の類焼の危険である。非常時の大火の恐ろしさは経験者でないと想像出来ない。東京の中央通りを西の火災が通りを超えて東へ移るのだ。明治座の前の大通りを「火炎」が走ったと想像出来るか。

 

時と場合によるが「鉄板」1枚で防げる。

 

6号団地には非常時に閉める「鉄扉」がある。私が住んで5年、訓練も含め、「閉めた」のを知らない。年に1度位閉めて見たらどうだろう。第一閉め方を誰でも知って置いていいのでは、ないどろうか。

 

戦時中「防空演習を嗤う」と毎日新聞が社説を書き、東条英樹の怒りを買い、懲罰招集された話は有名だが、「鉄扉」を閉めて見たら、「故障」で閉まらないのが出るかもしれない。

 

 

人に勧めたくなるモノ・江戸箒(ほうき)

江戸箒(江戸ほうき)老舗|白木屋傳兵衛

 

今の世に。

  • 2018.07.25 Wednesday
  • 17:35

新聞を止めたのも「つまらない」からだ。

 

PCnewsを見ればと思ったが、これもつまらない。インターネットでnes を検索して見たがどれもつまらない。

 

tvもこれも・・・。

 

民放は関西の芸人(あいつらは東京の基地局に番組を持って東京に別宅を持つのが夢だそうだ)がわいわいがやがや(芸でもなんでもない)。国会議員の一人(婦人)が「安室奈美恵」なら何時でも選挙に出られるといったが、本当だと思う。(安室さんには本来関係はない)。

 

TVNHKまで関西芸人にたよるので「つまらない」。私の口の中を見た、近所の歯医者が(自分の歯は1本もなく歯茎が痛くて見てもらった)歯茎が熔け始めたので「はいそれまで」ですよ。

 

この歯医者は「名医」だ。つまり、世の中が変わって仕舞ったのだ。

 

視点をそこへ置けば、何でも理解出来る。

 

生まれ育った「京橋」で迷子になりそうになったり、(東京駅では迷子になって道を聞いた)newsも面白くなかったり、平家物語でいう「見るべきものは見つ」なんだろう。

 

コンビニと携帯がないと今の若者は死ぬといわれる。両方要らない者は、存在理由がなくなったのかもしれない。

運動。

  • 2018.07.25 Wednesday
  • 17:32

 足に来た。いよいよと思う。

 

しかしこのままと言うのは悔しい。しかも歩けなくなるのは人間失格である。

 

出掛けるのを1日置きにした。休んでも、膝と足首の間(脛)に疲労が残る。悔しいので足首だけ動かすことにした。夜寝ると、脛がこわばり(痙攣らしい)痛い。漢方の薬をもらった。薬より運動の方がよい。

 

薬とは原則毒薬である。足釘の運動は翌日に影響は無い様なので、足の甲を伸ばし、足クビを上下させ、足を延ばす。それぞれ2秒間キープ、左右10回ずつを1セット。朝、昼、晩、TVを見ながらする。よさそうである。

 

5日続けて、良い方にむかったので、今度は足の甲を裏返して裏の方から圧力を加える、(古典落語に疲労回復に俯きに寝かせて足の裏を他の人がふんずけるのがある)右は出来るが左は膝に前歴があるので痛い。これをなんとかやる。

 

前述の運動だけでも、歩くのに楽になった。後者を加えれば・・・。

 

アンチエイジングである。

忖度と西郷。

  • 2018.04.06 Friday
  • 12:50

前にも書いたことがあるが、もりかけ問題を見ていて、あることを思い出した。

 

江戸東京博物館展示解説ボランティアを10年間していた時、何か別の問題で江戸橋北東詰を調べたことがある。

 

あの辺の土地は維新後「西郷隆盛」の持ち物になったことがある。その時の沽券図(今の権利書)が残っているが「西郷隆盛」の沽券は周りに比較して半分位(だったと思う)。

 

調べていないので、知らないが、維新前はどこかの武家のモノで維新後政府に返されたもの、あの「西郷」さんがそんなこというわけない人格者なので、その土地を扱った当時の役人が西郷さんのであると「忖度」し、周囲の半値で処理したものと想像される。

 

どうせ、「もと」は「ただ」だからだ。

 

沽券図以外は全部私の当時の知識を基にした「想像」である。昔も今と同じであるとは思いたくないのだが・・・。

 

ウチの起源。

  • 2018.04.06 Friday
  • 12:46

以前4代目を書いた時触れたと思うが、江戸東京博物館で10年展示ボランティアした時その積み重なりからあそこの長屋の元は新川の酒屋問屋「加島屋清兵衛」の家作だと知った。

 

その所在は京橋柳町とある。柳町とはウチ(炭町)の背中。身内である。

 

ウチの初代は「水売り」とある。「水売り」は「一荷」いくらで個人宅の水甕へ水を補給する零細営業、それがどうして「荒物屋」開業が出来たか。

 

「水屋の富」なる古典落語がある。

 

零細な水売りが千両賭に当たり、隠し所がないので、床下へ置き、毎晩盗賊に襲われる夢を見続け、毎朝出かけるとき長い竿で所在を確認して出掛けた。これを近所の悪が知って盗んだ。盗まれたのを知った「水売り」は「嗚呼、これで毎晩寝られる」これがオチ。

 

一方、ウチのすぐ前に「炭谷橋」があった。(S27埋め立て)また隣町具足町との境にある。水売りは毎日来るから、町内の有力者とも顔なじみになる。その営業年数が長ければ信用もつく。水売りが相応の歳になり橋番屋(番屋は町内会費で運営し幕府行政の末端を担う)の番太が株を売っても良ければそんなに高価なものではなかろう。

 

昔の番太の給料を補填する為家庭荒物(草鞋、ざる、の類)を売るのを黙認されていた。

 

維新になり、番屋は廃されて交番になる。

 

ウチの祖先が番屋のそばへ三井から地借り、店借りして「荒物屋」を始めても可笑しくはない。

 

これは全部私の想像。しかし「歴史のある部分は想定しそれを文書などで実証すれば、歴史になる」という。

 

これが私の「江戸東京博物館の10年」である。

 

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